2010年8月26日木曜日

もう一つの 



 小海線沿いに、五稜郭があるから、行ってみたら?と言われた時は半信半疑:日本に二つある、その一つで、なんでこの山の中に??

 長坂に向かう途中なので、立ち寄ってみたら、正確な形をしていて、当時の技術力にやや驚き。

 幕末~明治初期にかけて作られた(何でこういう時期に築城したのか、それも五稜形に?は、休息所の説明にはなく、不明)が、すぐに城の取り壊し令により、殆ど使われなかったらしい。

 今は、五稜郭の内側全てが、小学校の校舎と校庭になっていた。・・・小学校としては、中々ユニークですが、見る価値はないのかも;というのも、そこに何も歴史がなかったから。

 当時の建造物として、大台所の部分のみが校庭の隅に移築され、中も見ることができるようになっているのに、日曜日に訪れたので、見れなかった。

 航空写真の下側が正門入口。右写真は左下の稜部。

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