2014年10月23日木曜日

老い先


以前にも書いたように思うが、思い出せない~老化のなせる業。これも特権?

今日のお話は、先の「梁山泊」の余韻もある・・・。

★在宅死と病院死、それに介護施設死?・・・そのどれかでそれを迎えるけど、選べるとしたら、どれがいい?

     (近頃、病院死→在宅死の方向を政府は打ち出したとか。
      しかしそれは他と同じく、国民の幸福を考えてじゃなくて、
      政治家・官僚が自分たちの利益のための方向転換・・・。
      これは別の日に譲ろう。)

ここでは、「延命治療」のお話を少し。

・・・「死に際」を病気の延長と考え、かつその裏では面倒な()在宅死よりも「最期まで治療を続けた」という安堵感を感じたくて、日本では病院死が積極的に選択されてる、ように見える。

病院は治療に精一杯尽し(**)、その結果としての死、という遺族が納得しやすい状況を作ってるし、遺族もそれを望んでる??
 ()老人医療が無料なのも、病院にいる方が費用もかからないし。
 (**)TVの医療ドラマなんかでよく見る、最期の心臓マッサージなど、死を
   迎えようとしてる人に馬乗りになり、暴行を加えている姿に見えませんか?

「命は長いほど良い」との考えが、多くの日本人にも日本の医者にもあるから、兎に角病名をつけて、治療を目指してしまう。

日本でも少し前までは、以下の欧米と同じように考えられてたけど、いつから変わってしまったのか。

「死は、出産と同じように病気ではない」。老齢になれば、誰にでも訪れること。老衰は自然に訪れること、と。


欧米では「自分で食事が摂れなくなったら、死への始まり」というのが常識のよう。

従って、胃瘻(ろう)は、それを一時的にすることによって、その後、自分で食事を摂れるようになれる場合に選択され、延命のための選択は殆どないという。

さて、自分はどうありたい?

☆写真は、孫の玩具の中で、悦に入ってる、否、遠くを見てる;自分の老い先に思いを馳せてる?の図の、我が愛犬。


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