2007年9月25日火曜日
彼岸花
今日はたぶのきとしてはたくさんのお客様が来られ、夕方時まで休みなし(で私はお昼抜き、トホホ)だったのです。
ところで、たぶのきの小さなハーブガーデンに密かに植えられていた彼岸花が、ミントの花をバックに、今日咲きました、昨日まで蕾だったので、お彼岸過ぎてしまうのかと案じていたのです。すごいですねえ、彼岸花って。季節を感じさせてくれますねえ。それからもう一つはおまけ~8月はじめに八ヶ岳南麓に行った折に求めてきた唐辛子(これは食べられない種類とか)が、紫色の小さな花をつけていたかと思うと、もう小さな実をたくさん実らせていたのです。ほんとに小さくて可愛いですよ。
2007年9月24日月曜日
お月見の会
生憎の曇り空で天の月は見られなかったので、吉沢さんの作品(写真)を月に見立てて、3人の作家を囲んで、和やかに、23日の夕方に予定通り開かれました。遠路取手市(芸大キャンパスがある)からの参加に感心していたら、ロンドンからも来てくれて(実はたまたま帰国していたのだが)、話ははずみにはずみ、9時にお開きになったものの、最後の人が帰ったのは10時。ちなみに最後の写真はその10時のたぶのきの入り口に置かれた行灯とススキ。
・・・それもそのはず、店主の計らい(自分で言うのは、ちとおかしいのだが、ここは第三者表現)で、本物の月見だんごは勿論のこと、コロッケだんごや、栗ご飯だんごも供され、それがみんな美味しかったのだから、店主の後片付けが深夜に及んだもの、まあ、仕方のないこと・・・、とほほ・・・沢山の方々が来場され、楽しまれた証し、が店主の勲章・・・、ですね。さあ、この展示会も今度の日曜日が千秋楽、・・・始まってみたら、終わるのはあっという間、という感じか。~~~ブログを見てのご来場者は、いまだ、聞いていない、さて、どなたがその第一号に??お待ちしています!!!ではでは。
2007年9月21日金曜日
橋本愛子さんの個展
2007年9月15日土曜日
うるしたのし展、今日から!!
東京芸大出の売り出し中の3人の漆芸家による展示会ですよ。目からうろこ的な場面に出会うかも・・。これから作家のOKを得て、作品を紹介していきたいと思っていますので、請うご期待を!!
展示作品の販売もしています。
展示作品の販売もしています。
2007年9月12日水曜日
龍口法難会
たぶのきから歩いて5分位のところに龍口寺という日蓮宗の古いお寺(その歴史等は後述)があります。そこで毎年9月11日から13日を「龍口法難会」(後述)と定め、お寺の中では厳粛かつ盛大な大法要が営まれます。特に12日夕刻から13日払暁にかけては、どの位遠くの日蓮宗のお寺から来るのか知らないが、「万灯」(提灯とか類似のものを沢山つけた山車のようなもの)が各方面から何十台と集まって来ます。それに随行する参詣者は日蓮宗独特の鳴り物を打ち鳴らして、山門から境内に登っていきます。また門前から江ノ電江ノ島駅にかけた歩道沿いには隙間なく夜店が立ち並び、身動きが取れないようにもなります。12日夜6時と13日午前0時の大法要には堂内で、参詣者に沢山の牡丹餅が撒かれます。これは、日蓮聖人が龍の口へ連行される途次、鎌倉の桟敷尼が鍋蓋に胡麻牡丹餅をのせて供養したとの故事にちなんだものとのことです。
今年は若干天候が危ぶまれたのですが、それに伴ってすっかり秋らしい涼しさの中での営みとなりました。
<説明>
○龍口寺の山号は寂光山(じゃくこうさん)とのこと。
○縁起~この地はかつて刑場跡で日蓮宗の開祖日蓮も文永8年(1271年)
9月12日に日蓮聖人が処刑されそうになったので、この事件を
日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶとのこと。
(お話では、日蓮上人が斬首される直前に、「江ノ島方より月の
如く光たる物、まりのやうにて辰巳の方より戌亥の方へ光り
渡」ったために、それを大神変として、執行人たちは日蓮聖人
の処刑を止めた、とか・・・。)
その後延元2年(建武4年、1337年)に日蓮の弟子、日法が
この地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、
自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりと
伝わり、本格的な寺としての格式を整えたのは津村の国人で
日蓮宗の信奉篤い島村采女が慶長6年(1601年)に土地を寄進
して以来の事とされているとのこと。
(おまけ~毎月第3日曜日には、「龍ノ口法難霊蹟」で骨董市が
開かれています。)
今年は若干天候が危ぶまれたのですが、それに伴ってすっかり秋らしい涼しさの中での営みとなりました。
<説明>
○龍口寺の山号は寂光山(じゃくこうさん)とのこと。
○縁起~この地はかつて刑場跡で日蓮宗の開祖日蓮も文永8年(1271年)
9月12日に日蓮聖人が処刑されそうになったので、この事件を
日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶとのこと。
(お話では、日蓮上人が斬首される直前に、「江ノ島方より月の
如く光たる物、まりのやうにて辰巳の方より戌亥の方へ光り
渡」ったために、それを大神変として、執行人たちは日蓮聖人
の処刑を止めた、とか・・・。)
その後延元2年(建武4年、1337年)に日蓮の弟子、日法が
この地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、
自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりと
伝わり、本格的な寺としての格式を整えたのは津村の国人で
日蓮宗の信奉篤い島村采女が慶長6年(1601年)に土地を寄進
して以来の事とされているとのこと。
(おまけ~毎月第3日曜日には、「龍ノ口法難霊蹟」で骨董市が
開かれています。)
2007年9月11日火曜日
岡本潤木版画展「鳥の遊ぶ家」を終了
2007年9月1日土曜日
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